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2011年3月17日に、ドル円は史上最安値となる76.25円を記録。1973年変動相場制導入後の最安値79.75円(1995年4月)を3円以上も更新し、歴史的な円高となりました。
折しも日本ではその6日前、3月11日に東日本大震災が発生。三陸沖を震源とするマグニチュード9.0という巨大地震と、直後に襲ってきた津波によって、東北地方を中心に東日本はかつて無いほどの被害を被り、大津波が押し寄せた東北地方太平洋沿岸部は壊滅状態になるなど甚大な被害を受けました。さらには福島第一原子力発電所も地震と津波によって、事故が発生し、水素爆発や放射能漏れが生じるなど未曾有の事態となっています。
それらの影響はマーケット全体にも悪影響を及ぼし、円相場が急騰し、米ドル円が最安値を更新する状況となりました。世界的にもリビア問題やギリシャ、スペイン、ポルトガルの国債格下げ問題が懸念されていた時期でした。
なぜ為替相場は大震災後に円高なのか?
なぜ東日本大震災の後に円高になったのでしょうか。一般的に考えればあのような大災害は通貨の売り要因となるはずです。その原因として考えられているのは、震災後の株式の値下がりを補填するための日本人投資家による外貨建て資産の売却や、3月の決算の時期であったこと、復興需要を期待した円買いなどが挙げられます。こう行った要因が、元々のユーロ諸国での信用不安やリビア問題とからみ、円高の流れを加速させたようです。
ストップロスを巻き込みながら一気に円高が加速。阪神・淡路大震災の時も…
さらに、多くのトレーダーや為替市場に関わる人間が1995年4月の史上最安値79.75円を割ることはないであろうと予想していた事から、ストップロスの動きが加速、一気にドル円史上最安値を3円以上も更新する事態となりました。
震災後の例を歴史的に見れば、1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災後にも円高が進み、その約3ヶ月後にこれまでの史上最安値79.75円を記録しています。もちろん今回の円高とは外的にも内的にも状況は異なりますが、様々な要因が重なり、大災害の後に円が上昇するという事は、そこまで不思議ではないのかも知れません。
日銀による歴史的な協調介入
2011年3月17日に米/ドル円が史上最安値となる76.25円を記録した翌日の18日、先進7カ国(G7)による10年半ぶりとなる強調介入が行われました。これがサプライズとなり79円台後半で推移していた米/ドル円は、81円台後半まで急騰しました。財務省が発表した介入実績によると、日銀が2011年2月25日から3月29日までの約1ヶ月間に実施した為替介入額は6,925億円だったようです。
このようなG7による協調介入への合意は市場に大きなサプライズを与え、それまでの円高一辺倒であった為替の動きを大きく牽制する効果をあげました。協調介入合意後に、ガイトナー米国財務長官は「G7として一致して行動し、急激な円高で日本の回復が損なわれるリスクの抑制に貢献できたことは重要だった」と発言しています。
実際問題として、東日本大震災後の円高は実態経済を反映していると言いがたい状況で、投機的な思惑による動きと見られていました。そのような状況を鑑みたG7各国による日本への人道的支援という側面は大いにあったようです。
震災後の円高は投機による不自然な円高なのか?
G7による協調介入には、人道的支援という側面以外にどのような意義があったのでしょうか。協調介入より約1ヶ月後のドル円の水準は一時85円台を目指す動きを見せ、その後も83円から84円付近を推移。それまでの円高の流れを押し返した点において、協調介入による効果は大いにあったと言えます。この事は日本の利益であると共に、G7各国の共通の利益にもなるという認識があったからこそG7各国が10年半ぶりに協調介入に踏み切ったのではないでしょうか。
それはつまり「円高投機」による不自然な円高が世界景気回復への障害になると判断され、今後は円安方向へ誘導していくというG7による強い意思表示であったのかもしれません。このような為替市場での裏側の事情は数年、あるいは数十年しなければはっきりしない場合が多いので、はっきりそうだと断言することは出来ません。
しかし、歴史的に過去数回行われた協調介入の例を見ていくと、協調介入が為替相場の転換点になる可能性は高く、その後の数年間の為替の動きを占う重要なヒントとなるのではないでしょうか。
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