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ドル円相場が大きく変化した歴史的イベントの一つとして、「プラザ合意」を外すことはできないでしょう。
しかし
「プラザ合意ってなに?」
「日本にどんな影響があったの?」
と考えている方もいらっしゃるでしょう。
この記事では為替相場の流れを激変させたプラザ合意とはどのような出来事だったのか、そして世界の経済をどのように変化させていったのか、その詳細をみていきましょう。
プラザ合意に至るまで
1971年12月にワシントンのスミソニアン博物館にIMF主要10カ国の蔵相が集結、ブレトンウッズ体制崩壊後の国際通貨体制が協議されました。
米国のニクソン大統領はブレトンウッズ体制の終焉が、国際経済にとってより良い時代をもたらすと確信していたようです。
しかし、このスミソニアン合意も長くは続きませんでした。
このような為替レートを左右する要因となる国際的なイベントは時代とともに数多く行なわれてきました。
スミソニアン合意後の1973年主要各国は変動相場制へと移行し、スミソニアン体制は崩壊しました。
そして、さまざまな為替レートの規制メカニズムが崩壊したあと、外為市場には実質的に規制がなくなりました。
また、スミソニアン体制崩壊後に移行した変動相場制でもドルの信認低下は止まらず
- 経済成長の鈍化
- 貿易収支の悪化
- 失業率の上昇
- 石油危機の影響からスタグフレーション
が発生することとなりました。
1980年代初めアメリカは財政赤字と貿易赤字に悩まされていました。
1981年、当時のアメリカのレーガン大統領は強いアメリカの復活を政策に掲げています。
政策内容として以下の4大テーマをかかげ、“強いドル政策”が実施されました。
- 物価安定のための通貨抑制
- 大幅減税による生産力の増強
- 規制緩和
- 小さな政府の実現
この経済政策を“レーガノミックス”と呼ばれています。
しかし、この政策は貿易赤字の拡大を招き、大幅減税策による財政収支の悪化を招く結果になりました。
プラザ合意でドル高是正
1985年9月、過度なドル高の対策のために米国の呼びかけで、G5における大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が集まり、会議が開催されました。
この会議では、ドルの下落とドル意外の主要通貨の上昇を意図的に実現することを目的としています。
世界経済の歴史的に見ても非常に重要な内容の閣議でしたが、話し合われる内容が事前に決まっていたため、会議そのものはほんの数十分で終了したといわれています。
そして、ドル安政策によって米国の輸出競争力を高め、貿易赤字を減少させることにありました。
プラザ合意後たったの1日で米ドル円が20円以上も急落
プラザ合意前は240円レベルで推移していた米ドル/円は、プラザ合意の発表後に、わずか1日で20円以上も下落し、215円台に突入するほどの急激な円高が進みました。
年内には、公開されていた誘導目標の200円を割れ、その後も円高トレンドが続き、2年後の1987年には150円をも割り込みました。
その当時の米ドル円の下落スピードの凄まじさは、下図のチャートを見ると一目瞭然です。
ちなみに、ニューヨークのプラザホテルで会合が開かれたことからプラザ合意と呼ばれています。
アメリカは財政赤字を削減し、金利を引き下げること、その他の国々は金利を引き上げることを合意しました。
プラザ合意以降、日本では急激な円高が進み、日本経済は不況に陥りました。
政府・日銀は円高対策をおこなった結果、資金が日本に集まりました。
プラザ合意の歴史的背景
80年代のアメリカは「小さな政府」を掲げるレーガン政権のもと、インフレを抑制するために金融引き締め政策を推進していました。
高金利に惹かれた投資家たちはこぞってドルに投資。
やがてインフレは収束していったものの強烈なドル高になり、いわゆる「双子の赤字」と呼ばれるほど貿易収支と国際収支が悪化してしまいました。
もはや米国に市場不介入にこだわっている余裕はなく、行き過ぎたドル高を是正するために先進諸国と提携して協調介入を図ることにしたのです。
他国にとっても極度のドル高は恐れるべき事態だったため、話し合いはすぐにまとまりました。
プラザ合意が為替相場にもたらした影響
プラザ合意に関する発表の翌日には、わずか1日でドル円がおよそ20円も円高に振れました。
その後何度か円安・円高の反発を繰り返したものの、合意前には1ドル230円台だったドル円が1年少々の間にほぼ半値の120円台まで急落しました。
もともとプラザ合意は対日貿易赤字を改善するためにドル安・円高を進めるのが目的だったので、他の通貨ペアに比べて極端な値動きを示したのです。
その後も円は買われ続け、ドル円相場では現在に至るまで長期的な円高傾向が続いています。
結果的にプラザ合意は想像以上のドル高是正効果をもたらしました。
日本経済はバブルの時代へ
急激に円高になったため、日本では貿易収支が大幅に減少し円高不況への強い懸念が巻き起こりました。
そこで日銀は大幅な金融緩和を実施。
国内の経済を活性化させるために、年内に4度も金利を引き下げました。
過剰供給された資産は行き場を失い、不動産や金融などへの投機に回されるようになりました。
その結果、急激に土地価格が高騰。
いわゆる「バブル景気」と呼ばれる空前の好景気が巻き起こったのです。
極度の円高で製造業は苦境に追いやられたものの、その分非製造業分野は順調に業績を伸ばしました。
「土地を買えば儲かる」という土地神話がはびこり、投資家はもちろんのこと一般のサラリーマンまでもが不動産に手を出す狂騒の時代が日本中を席巻します。
しかし、楽して儲かるほどうまい話がいつまでも続くはずがありません。
無謀な投資を続けてきた人々が一様に大損失を抱える事態となり、文字通り一攫千金に憧れたゴールドラッシュ再来の夢はバブルとなって粉微塵に弾けたのです。
バブル崩壊後の日本は平成不況に陥り、現在でもまだ完全に脱却を果たしていません。
一つの金融政策がその後数十年に渡って他国の経済にまで影響を及ぼすのですから、ファンダメンタルズ分析がいかに重要かお分かりいただけるのではないでしょうか。
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