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為替相場の歴史を語る上で、「ニクソン・ショック」は絶対に外すことのできない重要な出来事です。歴史の教科書にも載っているので、金融初心者の方でも何となく名前くらいは聞き覚えがあるのではないでしょうか。
世界の為替相場は、このニクソン・ショックをきっかけに大きな変貌を遂げました。私たちが普段何気なく目にしている為替相場の変動は、固定相場制を変動相場制へ変えたニクソン・ショックに端を発しています。現在の為替相場を形づくった大事件といっても過言ではありません。ニクソン・ショックとは何か、そして為替相場をどのように変えたのか、その内容を具体的に見ていきましょう。
ニクソン・ショックとは
ニクソン・ショックとは、1971年に第37代アメリカ合衆国大統領のリチャード・ニクソンが発表した衝撃的な経済政策のことです。ニクソン大統領は7月15日に中国訪問を含む新規外交政策を発表した後、同年8月15日に減税と47億ドルの歳出削減・10%の輸入課徴金の導入・90日間の賃金及び物価凍結など大胆なプランを打ち出しました。
中でも、金とドル紙幣との交換停止は金融関係者を大いに驚愕させました。(別名ドル・ショック。)ニクソン大統領がテレビとラジオで演説した経済政策の内容は事前にアメリカ合衆国議会にすら通達されていなかったため、その分ショックも倍増。特に、取引市場が開いていた日本の為替相場は大混乱に陥りました。無論、ニクソン・ショックは当日だけでなくその後の世界市場にも大きな影響を与えていくことになります。
ニクソン・ショックの歴史的背景
ニクソン大統領は決して単なる思いつきでこのようなサプライズ政策を宣言したわけではありません。すべてはアメリカの景気を回復させるためのドル防衛策です。
アメリカは第二次世界大戦後、世界に存在する金のおよそ7割を保有していました。古来からリスクヘッジ資産として世界中の投資家の間で取引されてきた人気商品の金を1オンス=35ドルの固定比率でいつでも交換することができたため、米ドルは各国の通貨と固定レートで交換される国際的な基軸通貨の地位を確立していたのです。
ところが1960年代に入り、アメリカ経済に陰りが見え始めます。ベトナム戦争などをきっかけに大幅な軍事力強化に着手した結果、アメリカは巨額の財政赤字を抱えてしまうことになりました。国際収支も目に見えて悪化し、米ドルがどんどん海外に流出していく事態に発展。もはや金本位制を維持できなくなり、抜本的な経済転換策を余儀なくされたのです。
ちなみに、ニクソン大統領が日本の為替市場の開く時間帯に衝撃的な経済政策を発表したのは偶然ではありません。第2次世界大戦後の沖縄返還交渉にて交わされた繊維製品輸出規制に関する約束を守らなかった日本への嫌がらせだったと言われています。まさに政治と経済は表裏一体であることを裏付ける興味深いエピソードといえるでしょう。
為替相場への影響
ニクソン大統領が声明を発表する以前は、米ドルと各国の為替レートは固定されていました。しかし金とドルの交換が停止したことにより固定相場性も崩壊し始めます。
1971年12月に主要10か国はドルの切り下げを容認するスミソニアン協定を締結。それまで1ドル360円に固定されていた日本円は、一気に308円まで切り上げられます。まんまとアメリカの思惑通りに事は進みますが、それでもアメリカの財政赤字は解消されず。そして1973年になると、市場の需給によって為替レートを決定する変動相場制へ完全に移行し、固定相場制は終焉を迎えます。
こうして、現在では当たり前となった為替の変動制度が確立し、世界経済は歴史的転換点に到達しました。ニクソン・ショックを契機に、日々変化する為替レートを利用して個人トレーダーでも利益を得られるFXが様々な通貨で取引できるようになっていくのです。
ニクソン・ショック後の為替レート
1ドル360円だったUSD/JPYの為替レートは、その後10年間であっという間に200円台まで進みます。一時期200円台後半まで戻した時期もありましたが、90年代以降は100円台が定着。2011年には1ドル70円台後半という歴史的な安値をつけました。現在は110円前後を推移しており、長期的な円高傾向が続いています。
本来、各通貨ペアの為替レートは市場の需給バランスによって決まるのが変動相場制のルールです。しかし世界の経済情勢や様々な金融政策の影響も色濃く反映されるため、その値動きを正確に予想することは容易ではありません。その難易度の高さもFXの醍醐味といえるのかもしれませんね。
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