当サイトには広告・プロモーションが含まれています。
当サイトでは、複数企業と提携し情報を提供する広告収益モデルで運営しています。 当サイトを経由しサービスや商品のお申込みが発生した場合、各企業から報酬を受け取る場合がございます。ドルの下落を止められなかった米国経済はさらに悪化する事態に
1985年9月22日、G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)が決議したプラザ合意により、世界の為替市場は円高に傾きます。双子の赤字に苦しむ米国経済を救済するためにドル高を是正するのが目的だったので、協調介入は一応の成功を収めたといえるでしょう。
しかし、プラザ合意から1年も経つと、今度は逆に過剰なドル安が問題視されるようになりました。そこで締結されたのが「ルーブル合意」です。行き過ぎたドル安に対処するためにG7がどのような行動に出たのか、そしてその効果はどうだったのか?具体的に見ていきましょう。
ルーブル合意とは?
ルーブル合意は、1987年2月22日にパリのルーブル宮殿で開催されたG7(先進7カ国財務大臣・中央銀行総裁会議)にて発表された合意のことです。アメリカ・イギリス・西ドイツ・フランス・イタリア・カナダ・日本の蔵相が一堂に会し、プラザ合意以来急激に進んだドル安に歯止めをかけるために協議を行いました。為替相場を安定させるため、各国は自国通貨にある程度の変動幅を設け、そこから外れた場合は協調して市場介入することになりました。
米国の貿易赤字を解消するためにはドル安になることが好ましいですが、モノには限度があります。貿易対象国である日本などでは極度の円高のせいで円高不況の懸念が高まり、アメリカ国内でもインフレの可能性が問題視されるようになっていたのです。
緊密な政策協調を行うことが約束されたものの、各国の足並みは十分に揃わず。一時的に円安に振れましたが、結果的にドルの長期的な下落を止めることはできませんでした。
ルーブル合意が為替相場に与えた影響
1ドル250円前後を推移していたドル円は、プラザ合意後急速に円高へ。わずか1~2年の間に150円台まで急落しました。
ルーブル合意では「為替相場の現行水準の安定」が目標に掲げられ、日本が4月に金利の引き下げを、アメリカが金利の引き上げを行い金融緩和策を実施しました。しかしその後は日米欧諸国の協調がうまくいかず。アメリカの貿易赤字が嫌気されて世界市場へのドル流出が止まらず、再びドルが下落し始めました。
そうこうしているうちに、西ドイツが米国の反対を振り切って金利の高め誘導を展開。西ドイツもインフレ懸念の問題を抱えており、悠長に構えている余裕がなかったのです。関係者からは「ルーブル合意が破綻した」と解釈され、米国に金利上昇の思惑が広がってしまいます。
ブラックマンデーの到来
せっかくフランスのパリでルーブル合意に至ったにもかかわらず、肝心の米国経済はなかなか回復の兆しを見せません。そして西ドイツが反旗を翻すような態度を示し始めたため、相場では金利先高感が台頭します。
急激な金利上昇にマーケットが反応。大幅な国際収支不均衡を是正するためにはドル相場のさらなる下落が必要との見方もあり、1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場で売りが殺到し、歴代最大規模となる500ドル以上もの大暴落が発生してしまいます。下げ率は20%以上。この流れは他国の株式市場にも波及し、世界同時株安を引き起こしました。投資家にとって悪夢のような月曜日だったため、この現象は「ブラックマンデー」と呼ばれるようになりました。
株価の暴落によりFRBは利下げに踏み切らずを得ず、ドルはさらに急落。ドル安が是正されるどころか米国にとって最悪の展開になってしまうのでした。その後ワシントンにて再びG7による会合が開かれますが、その時点ですでにドル円は1ドル120円台まで円高が進んでいました。
アメリカが迷走する中、日本では金融緩和策を駆使して暴落からの立ち直りを見せていました。金利の引き下げにより投機の流れが生まれ、いわゆる「バブル経済」と呼ばれる熱狂的な不動産投資の時代が到来するのでした。
アメリカの思惑とは裏腹に、日本の方が世界経済の中で突出した存在感を見せていきます。これが後の日本製品輸入反対運動などのジャパンバッシングに繋がっていくとは実に皮肉なものです。
関連記事
-
カーターショックとは?カーター大統領の大胆な金融政策により円高相場が急変
為替市場には世界中の投資家の思惑が交錯しており、経済指標や現在の為替レートと平均価格との乖離率など様々な要因が需給バランスの変化を引き起こしています。 また、時には政権にかかわる要人の発言も相場を動かす重要な取引材料にな … [続きを読む]
-
東日本大震災後の米ドル円最安値更新と協調介入
2011年3月17日に、ドル円は史上最安値となる76.25円を記録。1973年変動相場制導入後の最安値79.75円(1995年4月)を3円以上も更新し、歴史的な円高となりました。 折しも日本ではその6日前、3月11日に東 … [続きを読む]
-
全世界を震撼させた第一次オイルショックとは?
第一次オイルショック(第一次石油危機)とは、1973年10月6日に勃発した第四次中東戦争を契機に石油輸出機構(OPEC)に加盟する国々が原油価格を引き上げたことで発生した社会的混乱のことです。 科学技術の発達により人類が … [続きを読む]
-
石油供給危機が再び…第二次オイルショックとは?原因や時代背景を考察
1973年に発生した原油価格の高騰及びイスラエル支援国への石油禁輸措置は、安価な石油に依存してきた先進諸国にオイルショックという未曽有の経済混乱をもたらしました。欧米はもちろんのこと、日本社会も戦後から続いてきた高度経済 … [続きを読む]
-
リーマンショックはなぜ起きた?原因は? -為替相場の歴史
リーマンショックで世界経済が大混乱に陥りました。 しかし、アメリカで起きた事件、日本の私たちにはあまり影響はなさそうに見えます。 どうして日本でも騒がれているのでしょうか? ここでは、リーマンショックや、リーマンの破綻の … [続きを読む]